MJの謎⑦最終回
同じ映画THISISITで
同じマイケルを見ているはずなのに
ある人には本物で
ある人には偽物で
ある人には死んだ者として
ある人には生きている者として
それぞれの目に違う現実が映っている
こんな真逆の認識になるなんてあり得るだろうか?
この記事を書くまでに身近な友人にTHISISITを見てもらいました
私と同様マイケルジャクソンにそこまで興味がない人たちです(笑)
最初は普通に何も言わず見せ、途中で「この中にニセモノがいるのわかる?」と言うと、
最初は驚くものの、すぐに本人とニセモノが見分けれるようになってました。
一方、マイケルの事が大好きな人は出ているのは全部が本人だと信じて疑いません。
有名なMJファンブロガーでさえインパーソネーター(偽物)の写真を
本人だと信じ何枚も掲載しているのには愕然とした。
恋は盲目とはまさに・・・(笑)
みなさんは一体どうしてこんな現象が起こるか、お分かりになりますか?
わたしなりに考えて出た答はこうです
好きや嫌いという感情は、上がったり下がったり激しく揺れ動き常に変化します
恐怖を感じ、怒り、高揚し、興奮し、落ち込み、悲しみます
平常心とは反対の感情的な動揺する心のや脳波の状態です
今までの自分が信じていたものが崩れてしまうという恐怖や
怒りを感じると自分の価値観を守ろうとする本能が心を頑なにしてしまいます
そのため平等で冷静な判断ができなくなってしまうのです。
一方、好きでも嫌いでもない人たちは感情や先入観が邪魔しないので
本人であろうが偽物であろうが悲しくも嬉しくもないから動揺しません
だからフィルターをかけずに平常心で素直に本質を見ることができます
つまり
好き嫌いという感情は判断力を失いやすい
前回のイエスとマイケルの例え話をまた引き合いに出すなら
イエスの12人の弟子達は、イエスが十字架にかけられ
死から復活して初めて、やっとイエスの教えを真髄を理解したように
マイケルも自分の死によって今までの誤解がなくなり
曲のメッセージが理解され、たくさんの人たちが目覚めることを望んでいたとしたら
イエスが「聞く耳のある者は聞きなさい」と言ったように
THISISITで「見る目のある者は見つけなさい」と伝えているとしたら
探せばヒントは至る所にあって、そこに気が付くか気が付かないか
↑コンサート前2008年のパパラッチ画像。これを演出と取るか事実と取るか
↑マイケルの死後発売になったプレステ3の広告が何故か「This is living」
ここまで書いておいてあれなんですけど・・・
正直、マイケルジャクソンが生きてても死んでてもどちらでもいいんです。(いいのかい)
違和感の原因が何か探求せずにはいられなかったし、探求しない人とする人の違いが気になった。
調べるうちに彼が成し遂げようとした努力に光が当たらないまま
みんなが気が付かないままなんてすごくもったいないなーと思ったのと
あえてみなさんにも考えて体験してほしくて長編記事にしました(長くてごめんなさい)
私たちが気が付かなきゃいけないのは
毎日のニュース、ドラマ、雑誌、ネット、SNS、噂、ゴシップ
その日々の刷り込みによる先入観や感情が今の私たちの現実を作っているということ。
スリラーの歌詞のように
「あなたがダイアルを変えない限り悪魔があなたを取り囲んでしまう」
私たちがどう聞きどう見るか信じるかによって現実が変わります
実際選んでいるのは自分であって誰のせいでもありません
苦しみを作っているのも自分
幸せを作っているのも自分
ダイアルを変える=心を変える=行動を変える
みなさんはこれからどのダイアルに自分を合わせますか?
最後に・・・
自分で書きながら発見することがたくさんあったMJシリーズは満足したのでこれで終わりにします
読んでくださってありがとうございました!
次回からは通常どおりの法則日記にしまーす(笑)
何書こうかな・・・( ̄ー ̄)
おまけ
マイケル節が超ストレートに炸裂してる曲(歌詞に注目)↓
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